2007年10月07日

(3)次の日もやって来た猫

「あら、ネコちゃん、どこかに行っちゃったの?」



妻が庭と家の中を行き来している間に、
猫の姿は見えなくなった。
妻はちょっと不満そうに、
背伸びをしたりしゃがんだりして、
しばらく猫の行方を捜していた。



一匹の茶トラ猫がやってきて、
いつの間にか姿を消した。
その日の夜、
私と妻はずっと猫のことを話していた。
どこの家の飼い猫だろうか。
オスだろうか、メスだろうか。
何という名前だろうか。
また、やって来るだろうか。
今度は、牛乳以外に何をあげたら、喜ぶだろうか。
二人きりの夕餉の食卓が、途端に華やいだ。



猫は翌日もやって来た。
庭から、ざっざっざっと何かを引きずるような音がする。
我が家の庭は公道には面していないので、
見知らぬ人が立ち入ることはない。
昨日の猫が庭の隅で落ち葉をかき集めていた。
どうやら、用を足した後らしい。
今日も、猫は一心不乱に後始末をしている。
「おおい、猫来てるよ」
私はさっそく妻を呼んだ。



「ウチの庭がトイレとしてお気に召したようだ」
「じゃあ、毎日来るのかしら」
妻はすでに牛乳を入れた小皿を持っていた。
妻が、にゃあんと声をかけると、
猫はもはや馴染みのような調子で、
にゃあんと鳴きながら近寄ってきた。



「あはは、また来たよって、言ってるみたいだな」
「ホント。愛想のいい猫ちゃんね」
猫は昨日と同様に身軽な様子で縁台に飛び乗ると、
妻が差し出した小皿の牛乳を飲み始めた。



「どこから来たの?」
「お家はあるの?」
「家族はいるの?」
「名前はなんて言うんだい?」
妻が猫の背を撫ぜながら、
いくつも問いかけていたが、
猫は何も答えず、牛乳に夢中になっていた。



私は猫の後ろからシッポを持ち上げてみた。
股間には特に目立つものはなかった。
猫を飼ったことがないので、
正確にはわからないが、
どうやら、この猫はメスのようだ。
「オスがよかったのになあ?」
妻はもう飼い主になったかのように言った。



牛乳を飲み終えた猫は、
しばらく縁台の上で身づくろいをしていたが、
近くにあった野菜の苗を入れる
プラスチックのカゴの匂いをかぎ始めた。
やがて、その中にそろりそろりと足を踏み入れ、
ゴソゴソゴソと居住まいを正したかと思ったら、
頭を落として、目をつむってしまった。
眠ってしまったのだ。
私たちはその寝姿をこちらからあちらから観察して楽しんでから、
そのままそっと寝かせておいた。



日が暮れて、縁台を見ると、
カゴの中から猫の姿は消えていた。


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2007年09月30日

(2)やって来たトラ猫

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その猫は、
どこかへ向かって歩いている途中のように、
思われた。



秋の風が明らかに爽快さを増す9月半ば過ぎの頃だった。
よく晴れた休日の午前中に、
私は収穫の終わった野菜畑の後始末をして、
庭に散乱した柿の落果を拾っていた。




洗濯物を干していた妻が、
「あら、ネコ」と、声を上げた。
一匹の小柄な茶トラの猫が、
ゆっくりと庭を斜めに横切っていくところだった。
妻の声に、こちらを振り向き、
私たち二人を認めたまなざしには、
警戒している様子はなかった。



私は、にゃあんと、声をかけてみた。
すると、即座に、にゃあんと返事が返ってきた。
続けて妻も、にゃあんと、声をかけた。
猫も続けて、にゃあんと答える。
私と妻は顔を見合わせ、笑顔になった。



私たちは、ゆっくりと猫に近づいた。
猫は逃げなかった。
それどころか、
私のふくらはぎのあたりに頭をこすり付けてきて、
ぐるぐると喉を鳴らした。



「可愛いねえ」
妻が猫の頭をなでた。
猫はちょっとだけ首をすくめたが、
妻に触られるままになっていた。
「ノラにしてはきれいだな。ご近所の飼い猫だろう」
私も、猫の背をなでた。
猫は首輪はしていなかった。



猫は私たちの足の間を縫うように移動しながら、
ぐるぐると喉を鳴らし、頭をこすりつけている。
ときおり、私たちの顔を見上げる様子は、
初めましてと挨拶しているようである。



「お腹が空いているのかしら」
妻が家の中から牛乳を持ってきて、猫に与えた。
猫は戸惑うことなく縁台に飛び乗ると、
小皿に顔を埋め、ぴちゃぴちゃと音をたて、
牛乳を飲み始めた。



「やっぱり、お腹が空いていたのね。
でも、ごめんね。ウチにはネコのエサはないから」
猫は、たちまち小皿の牛乳を飲み干すと、
縁台から飛び降りた。
軽快な身のこなしが、年齢の若さを感じさせた。



猫は庭の中央まで歩いて、
野菜畑の畝を掘り始めた。
真剣な表情で、左右の前足を交互に使っている。
私たちは見慣れぬ猫の行動に釘付けになった。
猫は自分で掘った穴の上に座り、用を足した。
終わると、再び、真剣な表情で穴を埋め戻した。
私も妻も猫を飼ったことはなかった。
それゆえ、日常的で単純な排泄行動さえも物珍しかった。



猫は敷石の上に座り、毛づくろいを始めた。
首を伸ばして、自分の背中を舐める様子は、
オモチャのような動きで楽しかった。
私たちは笑いながら、猫の動きを見守っていた。



私は庭仕事に戻った。
落果した柿の実を拾い、雑草をむしり、
熊手で落ち葉をかき集めた。
猫は、私の様子を不思議そうに眺めていた。
ちょこんと正座をして、少しクビを傾けながら、
何しているのかな、
何でそんなことするのかな、とでも言いたそうである。



作業の合間に、私がにゃあんと声をかけると、
全身をしぼるようにして、にゃあんとこたえを返した。
大きく鳴くときは、目をつぶるようである。
そんなことを何回か繰り返していたが、
ふと気づくと、いつの間にか猫は姿を消していた。



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2007年09月23日

(1)引越しで庭を楽しむ

  
我が家には、一匹の猫が住みついている。
半ノラというのか、渡り猫というのか、
2年前の秋にふらりとやってきた。


当時、私は新しい家に引っ越して、
気持ちも新たに新しい仕事を始めたところだった。
と言っても、家自体は築30年のオンボロであった。
それでも、先住者が丹精込めたと思われる庭に出ることが、
新鮮な楽しみであった。


庭には多くの庭木が植えられていた。
春先には木蓮が咲き、桜が咲き、
初夏には鈴蘭が咲き、タチアオイが咲き、アジサイが咲いた。
夏には、棚にキウイの花が実を結び、
蜂の訪れが少々やっかいではあるが、
金木犀の香りに包まれる秋には、
柿とともに豊かな実りを与えてくれた。
そして、冬には真っ赤なツバキが咲く。


庭の周囲にはそれらの木々が肩を寄せ合うように並んでいるのだが、
庭の中央は、先住者が芝生を植えたきり放棄してしまったらしく、
まだらになって雑草と混ざり、伸び放題となっている。
しかし、周囲の家屋には邪魔されず、
さんさんと陽の光が落ちてくる。


私は引越し早々、そこを菜園にすることにした。
長い年月風雨にさらされて固まった土を掘り下げて、
石や瓦礫を取り除き、石灰と鶏糞を撒き、
腐葉土と赤土で埋めなおした。
春にはそこに野菜の苗を植えた。
キュウリにトマトにナスにピーマン。
苗は梅雨の雨を吸い、初夏の日差しを浴びて、
ぐんぐんと緑の葉を茂らせた。



野菜の葉が、支柱で組んだヤグラの一面に伸び、
庭が野菜の収穫で満たされる様子は、
たとえようのないほどの喜びを与えてくれる。
真夏の光が畑を焼いていく。
私は命が脈打つ瞬間を感じる喜びを味わっていたのだろう。
畑の畝の間を幼子でも駆け回っていたら、
さらに素晴らしい光景となったはずだ。
しかし、残念なことに私と妻には子供はない。



『犬でも飼おうか』
それは、庭のある家に引っ越したときから、
妻と相談していたことでもあった。
畑や庭木の間を無邪気な雑種の日本犬でも駆け回っていたら、
それは、幼子の輝きにも劣らぬ喜びを与えてくれそうな気がした。



『少し落ち着いたら、犬を飼おう』
何度かそんな話を妻とした頃に、
一匹の茶トラ猫が我が家の庭に現れた。


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